ワールドミュージックから見た第三世界の「著作権」問題
塚田 健一(東洋音楽学会)

写真  わたくしの専門とする民族音楽学の分野で広義に「著作権」といった場合、さまざまな切り口があるが、本発表では著作権に絡んで今日第三世界でどのような深刻な問題が生じているかを具体的に検討することによって、非西洋世界における文化財(フォークロア)保護と西洋近代の「著作権」概念の問題を考えてみたい。
 今日第三世界から見ると、著作権問題は一種の「南北問題」であり、現行の著作権法は彼らにとっては先進諸国からの「抑圧システム」と映る。それは、第三世界の音楽文化財が近代の著作権概念からすると著作権保護の対象とはならず、その結果西側のアーティストが彼らの音楽文化財を搾取するといった事態が生じているからである。そして、この問題を第三世界の文化財保護という観点から突きつめてゆくと、結局今日の著作権概念と現行著作権法がいかに西洋近代の「作品」概念の上に成立したものであるかが明らかとなる。
 さて、1980年代半ばから90年代前半に「ワールドミュージック」の名のもとに、世界各地の伝統的な音楽要素と西洋的なポップスの語法を融合させた音楽ジャンルが世界的なブームとなった。このジャンルはそれ以前には「エスノ・ポップス」とか「ルーツ・ミュージック」と呼ばれ、中央アフリカのリンガラ音楽やインドネシアのクロンチョンなどのように、もともと西洋音楽の影響のもとに第三世界各地に発展した民族色の強いポップスのジャンルであった。80年代後半のワールドミュージックにはこのジャンルに加えて、ピーター・ガブリエルのように西洋のアーティストが第三世界の音楽家とコラボレーションした作品も多く見られる。ところが、90年代に入ると、デジタル・サンプリングの普及がこの分野の様相を変えた。すなわち、第三者が第三世界で現地録音した音源を西洋のアーティストがサンプリングしてポップスの製作に積極的に使うようになったのである。その結果、たとえば赤道直下の奥深いジャングルのなかの村人の歌が、当人のまったくあずかり知らぬところでポップスに利用され、大都会の喫茶店で流されるといった状況が起こるようになった。
 著作権と関わるこの種の事件のひとつに「ディープ・フォレスト事件」がある。フランスのテクノ・グループ「ディープ・フォレスト」が、1992年に発表したアルバム『ディープ・フォレスト』のなかで中央アフリカのピグミーとソロモン諸島のバエグ族の現地録音をサンプリングして使用したのである。このアルバムは空前のメガヒットとなり、米ビルボード誌25週連続トップアルバムチャート入り、グラミー賞候補、200万枚を超える売り上げなど数々の記録を達成し、ポルシェ、ソニーなど大手のコマーシャルにも採用されて、莫大な収益を上げた。トラブルの仔細はここでは割愛するが、いずれにしてもバエグ族の音源収録者であるフランスの民族音楽学者ユーゴー・ゼンプはディープ・フォレストにその音源の使用を許可していない。後に音源が使用されていることを知ったゼンプは抗議の書簡のなかで、録音者としての自分に対する経済的賠償は求めないが、音楽文化財を「盗まれた」バエグ族の人々に対しては収益の一部を支払うよう求めた。しかし、ディープ・フォレストからはほとんど梨のつぶてで、バエグ族の歌い手にも、ゼンプにも、そして現地録音CDを出したユネスコにも支払いは一切行われなかった。
 この種の「著作権」をめぐるトラブルで特徴的なことは、音楽文化財を所有する第三世界の当の人々はほとんど「無言化された存在」であり、自らの権利を主張することはおろか、自らの権利が侵害されていることさえ知ることのできない状況に置かれているという事実である。さらに重要な点として−これは、ゼンプがこの件でなぜ訴訟を起こそうとしなかったかという理由と関係するが−フォークロアと現行著作権法の根幹に関わる問題がある。現行の著作権法では、法的に著作権保護の対象となるためには、authorship(作者の存在)、 tangibility(有形性)、originality(独創性)という三つの要件を満たしていなければならないとされる。すなわち、その音楽は作曲者(著作者)が特定され、しかも楽譜などの具体的なメディアに固定されていて、さらにその内容が「独創的」でなければならない。これらの特性は、しかしながら近代西洋の諸作品を特徴づけこそすれ、フォークロアと呼ばれる文化財や「作品」を規定する特徴には決してならない。バエグ族の歌も含めて、一般に民謡(folk music)とは作者不明のまま、その共同体で代々口頭伝承されてきたものである。また、個々の民謡は相互に多くの音楽的要素を共有するため、特定の曲の「独創性」について論じることは難しい。したがって、現行著作権法の保護対象の規定は、近代西洋の「作品」概念を前提とした、きわめて西洋中心主義的な性格を色濃くもつものであって、逆にこの法を盾にとって西洋世界が第三世界の文化財を合法的に搾取することが可能となる。言い換えれば、現行の著作権法は、結果的に西側による第三世界の文化財搾取の構造を一面において強化する役割を果たしていると言えるのではないか。 こうした著作権法の不条理に第三世界の文化財所有者が声高に異議を唱え、実質的に勝利した事例がある。1996年に始まった「エニグマ訴訟」として知られる一件である。これは、ドイツのポップ・グループ「エニグマ」が1993年台湾少数民族アミ族の民謡歌手ディファンの歌った「老人飲酒歌」をサンプリングして”Return to Innocence”を発表し、大ヒットしたことに端を発する。この曲を収めたアルバム『クロス・オブ・チェンジズ』は500万枚以上を売り上げたほか米ビルボード誌連続32週トップ入りを果たし、さらに”Return to Innocence”は数々の映画やテレビショーに使用され、果ては1996年のアトランタ・オリンピックのプロモーション・ビデオのテーマソングとして採用された。「老人飲酒歌」の音源は台湾の民族音楽学者の録音したものをフランスのメゾン社がCDとして発行したもので、エニグマはCD製作に当たってメゾン社に六千ドルを支払って(その半額は現地録音者に渡った)曲に関するすべての権利を移譲する契約を結んでいる。ここでも、第三世界の文化財所有者は問題の当事者リストからははずされ、置き去りにされたままである。
 しかしオリンピックの始まる1996年、ディファンは台湾のレコード会社を後ろ盾にエニグマ、EMI、国際オリンピック委員会などを相手どって訴訟を起こし、原告側の雇ったカリフォルニアの法律事務所と被告側弁護団との間の法廷闘争はアメリカで1999年まで続いた。そこでは、被告側は曲に関するすべての権利がすでに移譲されていること、民謡がパブリック・ドメインに属することを主張したのに対して、原告側は文化財所有権の問題をあえて争点からはずし、もっぱらディファンの「老人飲酒歌」の歌唱が他の歌唱と違っていかにユニークなものであるかを強調することによって、その歌唱(performance)に対するディファンの所有権(authorship)を主張した。最終的に、被告側はこれを示談に持ち込み、ディファンへの経済的賠償、将来のCDラインアップへのディファンの名前の明記、アミ族文化発展のための基金設立などに合意したのである。
 「エニグマ訴訟」は、音楽著作権をめぐる現在の不平等な世界構造に対する第三世界の側からの告発であるといえる。そしてその実質的な勝利は、そのような制度的に不均衡な「南北」の力関係に対する西側の反省を促すとともに、音楽関連業界の著作権意識とモラルに大きな警告を発することとなった。しかしそれ以上に、この「エニグマ訴訟」は、現行の著作権法の枠のなかで第三世界の文化的な権利を保護することがいかに難しいことであるかを物語っていよう。



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