ポップカルチャーから見る「よさこい系」

秋庭史典

美学会|名古屋大学

よさこい系とは、高知に始まり、札幌を経由して全国に広まったある種の祭り、ならびにそこで披露される踊りのことを指します。現在のルールは、踊り手は鳴子を用い、地域の民謡の一部を音楽に用いて踊るべしというきわめて緩いものです(鳴子の使用すら必要ない場合もあります)。ゆえにこの踊りは、誰もが利用できるプラットフォームとして広まりました。ピークは過ぎたとも言われていますが、今でもほぼ年中、全国で行われています。にもかかわらず、このよさこい系を唯一の生業とするプロフェッショナルな踊り手は、おそらくいません(楽曲制作や衣装制作ではプロが大きく関与しています)。では何が、多くのアマチュアをして、毎年新しい演舞をつくらせ続け、祭りに参加し続けることを可能にしているのでしょうか?

よさこい系については、すでに文化地理学(内田忠賢)や民俗学(矢島妙子)などを中心に、さまざまな研究が現れました。言われるべきことのほとんどは、そこでつくされているように思われます(ただしそれらはほぼSNS登場以前の研究です)。そこに2010年代、ヤンキー文化論からの「よさこい系論」が登場しました。それは、「バッドセンスの美学」の名のもとに、よさこい系チームを、社会的規制の「突破者」とみなし肯定的に評価します。たしかに、そのようにも見えます。しかし、よさこい系で派手な和風の衣装が選ばれ、ヤンキー音楽と共通する折衷的な楽曲が選ばれるのは、ワンステージ4分程度という短い持ち時間のなかで演舞のテーマを伝えきるのに最適だから、という機能的・合理的な理由によるものです。また、よさこい系の魅力を5つのハイブリッドから明解に説明する立場もあり(加藤晴明)、ヤンキー文化論だけでよさこい系が続いているのを説明するのは難しく、なによりも、それだけでは、毎年大量のアマチュアチームによって、日本全国で膨大な数の演舞が生成し続けられることの説明ができないように思われます。

わたしが提案してきたのは、ポップカルチャーからよさこい系を見ることです。より正確には、「ポップカルチャーワールド」(室井尚)という考えから、よさこい系を見ることです。ここで言うポップカルチャーは、情報技術に支えられたネットワークメディアをその主たるサイトとして、受容者=共創者が、既存の文化産業から、オン/オフライン両方のルートを通じて吸収したさまざまなアイテムを換骨奪胎しながら練り上げた成果を、リアルサイトで爆発させたり、ソーシャルメディアで交換したりコメントをつけ合ったりすることから成り立っている文化現象のことです。この背後には日本の伝統文化も含めた過去の芸術諸ジャンルデータベースがあり、さらにその全体を、AIを含めた各種情報技術が支えています。大量の演舞が日本全国で膨大な数生成され、しかも年々更新され、全体として進化していくのを説明するには、こうした、情報技術の進展を背景としたポップカルチャーワールドに似た仕組み(アマ/プロ/情報技術の連携)が働いている、と考えざるをえないのではないでしょうか。

現在のアマチュア文化の特徴は、以前にも増して、その量が膨大で、生産のスピードが速まっている点にあります。よさこい系も例外ではありません。ダンスコンテストである都市部のよさこい系祭りにおいて、年代ごと、カテゴリーごとに上位入賞を目指して新しい演舞を毎年制作し続ける必要のあるチームは、これからさらにその制作過程において情報技術への依存を強めていくでしょう。アマチュアである彼らの本業は別にあり、練習にかけられる時間が限られている以上、時短は必至だからです。プロの楽曲制作者や衣装制作者はその過程で情報技術と同様、質を保ちながらスピードを上げるために用立てられます。では、そのようにして大量に生み出される演舞について、学問はどのようにアプローチすればよいのでしょうか? 今見えている演舞、見えていない演舞、これから生まれるかもしれない演舞を一定の時間的拡がりのなかで捉え、その全体の流れを(主観によらず)扱えるような手法の開発が必要であると考えています。