「芸術家」になれなかった山下清

服部正

美術史学会|甲南大学

昭和後半期に大衆的な人気を博した貼り絵画家の山下清は、絵が好きかと聞かれると、決まって「仕事だからなあ」と答えたという。山下が貼り絵の作品を売ることは稀だったが、展覧会の収益やグッズの売り上げ、メディアへの出演料や、執筆した文章の原稿料などで相当の収入があり、東京郊外に一軒家を構えて、母と弟を養っていた。生計という観点から見れば、間違いなくプロフェッショナルといえるだろう。

しかし、軽度な知的障害があったとされる山下清が、美術の世界でプロフェッショナルと認められることはほとんどなかった。山下清はデビュー当時から一生アマチュアであることを運命づけられていた。山下清が画壇で注目を集めるのは、弱冠16歳だった1938年(昭和13年)頃からだ。とりわけ、1939年12月に銀座の老舗画廊、青樹社で開催された「特異児童作品展」には大きな関心が集まり、5日間で2万人という驚くべき数の観客が押し寄せた。新聞や雑誌はこのことをセンセーショナルに報じたが、当時の知識人たちの多くは、一流の芸術とは言えないと否定的な見解を示した。山下清は、プロの画壇で紹介されるや否や、そのプロフェッショナルたちから、知的な障害ゆえに内容、思想を伴わない作品としてアマチュアの烙印を押されたのである。

山下に対するこの評価は、戦後にも引き継がれていく。しかし、山下の作品を見ると、まずはその高い技術力に驚かされる。工芸や絵画において超絶技巧がもてはやさる今日、山下清の超人的な貼り絵の技術が評価されない理由はない。プロの芸術家による超絶技巧は高く評価されるものの、山下の技巧は情緒や意味が欠如した空洞だと言われる、それは、作品そのものの比較から導き出された結論というよりは、彼が知的障害を伴っていることによる偏見によるところが大きい。近年のアウトサイダー・アートに対する評価の高まりによって、その代表的作家であるアドルフ・ヴェルフリやヘンリー・ダーガーは国内外の美術館で作品が展示されている。しかし、山下清の作品は美術界の既存のイメージとは異なる独創性というアウトサイダー・アートの評価軸とも異なっている。彼はむしろ、積極的に美術教育を受け入れていた。山下は、当時の凡庸な美術教育をそのまま受け入れたうえで、その美術教育では到底たどり着けない場所まで進んだ人だった。それゆえに、アウトサイダー・アートとも親和性が低く、アウトサイダー・アートが美術界で認められた現代でも、やはり美術界のアウトサイダーのままである。

もうひとつ、山下清がアマチュアのままであり続けた理由として、戦後の山下の庇護者であり、プロモーターでもあった式場隆三郎の影響を挙げることができる。戦前戦中には「ゴッホ研究の世界的権威」とまでいわれ、ファン・ゴッホの普及に力を尽くしていた式場の地位は、ファン・ゴッホの実作品が日本にやってきた1958年(昭和33年)頃から急激に低下する。国立西洋美術館で開催された日本初のファン・ゴッホ展において、式場はそれまでのファン・ゴッホについての膨大な著述にもかかわらず、ほとんど活躍の場を与えられなかった。そこには、この数年前から式場が山下清のプロモーションに熱心に関わっていたことが影響を与えていたとみるべきだろう。山下清に付けられた「日本のゴッホ」というキャッチフレーズは、式場の思い付きではなく、1954年(昭和29年)末に放浪中の山下清の捜索キャンペーンを行った『朝日新聞』の見出しによるものだ。しかし、式場がファン・ゴッホの研究者として著名であったことから、式場の発案という理解が広がっていた。せっかくアマチュアの領域に押し込めたはずの山下清を、式場隆三郎がファン・ゴッホの名前のもとで一流の芸術家のように扱おうとしている、ならば二人まとめてアマチュアの領域に閉じ込めてしまおうということだったのではないだろうか。

しかし、この隔離政策にも限界がある。2000年代に入って、これまで百貨店で開催されてきた山下清の展覧会が、各地の公立美術館でも開催されるようになってきた。山下清展の人気は今も高く、各地の美術館で入場者数の記録を更新し、予算不足に苦しむ美術館の運営に大いに貢献している。今のところ、展覧会の企画に美術館の学芸員が積極的に関わっていることがうかがえるケースは少ないが、美術のプロである学芸員が、山下清の作品と向き合う機会は格段に増えている。

2018年6月に「障害者による文化芸術活動の推進に関する法律」が可決成立した。この法律の第12条では、「国及び地方公共団体は、芸術上価値が高い障害者の作品等が適切な評価を受けることとなるよう、障害者の作品等についての実情の調査及び専門的な評価のための環境の整備その他の必要な施策を講ずる」ことと、「保存のための場所の確保その他の必要な施策を講ずる」ことが義務付けられている。法律の条文が「芸術上価値が高い障害者の作品」という価値判断に踏み込むのは極めて異例と言えるが、そのような作品を「適切に」評価し、保存することが法的に定められているのである。国公立の美術館や劇場の運営にも大きな影響力を持つ可能性があるこの法律のことを、芸術のプロフェッショナルはあまり注目しているようには見えない。専門家は完全に蓋をしたつもりになっていたが、いまや法律によって障害者の作品をプロフェッショナルの領域に組み込んで評価することが義務付けられている。こうなると、山下清は法律に照らしてみてもアマチュアとは言い難い。美術においてアマチュアという存在は、プロフェッショナルの側の偏見や傲慢や怠惰を写し出す鏡のような存在である。