地芝居に見る〈アマチュアの領分〉

舘野太朗(たちのたろう)

日本演劇学会|横浜いずみ歌舞伎保存会

歌舞伎は都市部のみならず、村落部においても村芝居として享受されてきた。村芝居は一座を買ってくる買芝居(かいしばい)と、素人の住民がみずから演じる地芝居(じしばい)にわけることができる。村芝居の上演を手がける劇団は1970年ごろに姿を消しており、現在では村芝居と地芝居の領域は重なっている。

地芝居が演じられている地域は、1964年には16箇所であった(守屋1964)が、2011年には195箇所(全郷芸2012)まで増えている。調査の進展もさることながら、1990年代以降に設立された団体が多いことから、「地域おこし」の文脈で復活と新興が行われたものと考えられる。また、後継者育成を目論んで、小中学生だけで一幕を演じる子ども歌舞伎も広く行われるようになった。1990年からは、年一回のペースで、全国の地芝居伝承地の持ち回りで全国地芝居サミットという催しが開かれている。地芝居サミットでは、開催地の団体の公演のほか、研究者の講演、伝承者のパネルディスカッションが行われ、地芝居団体間の交流の機会となっている。

しろうと、つまりアマチュアの演じる地芝居であっても、地域内で上演が完結する例は多くない。演出を担う振付師匠、浄瑠璃や黒御簾などの演奏家などは、地域外からプロを招聘するのが普通である。なかでも振付師匠は、所作や科白の指導の他、演目の選定から上演時の後見(黒衣)まで、上演に関わる諸事を一手に担う。歌舞伎に関わる技術、知識が必要とされる役割であり、かつて地方劇団を運営していた人びとの他、現役もしくは引退した歌舞伎俳優、日本舞踊家などが振付師匠として活動している。振付師匠と保存会の師弟関係は固定的でなく、振付師匠に何らかの支障が発生したり、力量への疑問が高まったりした場合は、別の人に交代することもある。浅野久枝によると、長浜曳山祭の子ども歌舞伎では、たくさんの外題(演目)を知っていること、化粧のうまさ、演出のうまさ、知識の豊富さ、指導力が評価基準となり、手腕を見込んだ振付師匠を全国から招聘している(浅野2013)。

宮入恭平は「日頃の練習成果を披露するために、おもにアマチュアの出演者自らが出資して出演する、興行として成立しない公演」を「発表会」と呼んでいる(宮入2015)。地芝居も、習芝居と呼ばれることもあり、「発表会」的な性格を有してきた。振付師匠を地域外から招聘する場合、演目や演出などの藝態は地域内で伝承されない。家元制度における不完全相伝と類似した状態となる。しかし、地芝居の上演は地域の主催行事であり、家元制度において師匠の主催する「おさらい会」とは異なる。また、前述のとおり、何らかの問題が生じれば師弟関係を解消することもある。保存会と振付師匠は緊張関係にある。浅野久枝は長浜曳山祭では、山組(保存会)の人びとが理想とする藝を実現するために、よりよい振付師を招聘すると指摘する(浅野2016)。地芝居の藝態は振付師匠と保存会の緊張関係のなかで作られ、地域内では藝態ではなく、美意識が伝承されていると言ってもよいだろう。


参考文献

浅野久枝「子供歌舞伎振付師の系譜からみえる長浜曳山祭地芝居の傾向」『民俗芸能研究』59, 2015.
浅野久枝「創り上げられる「山の芸」―長浜曳山祭・奉納子供歌舞伎にみる町衆の心意気」『民俗芸能研究』61, 2016.
社団法人全日本郷土芸能協会『平成二十三年度文化庁「文化遺産を活かした観光振興・地域活性化事業」「全国の地芝居と農村舞台」調査報告書』社団法人全日本郷土芸能協会, 2012.
舘野太朗「地芝居の現在とその課題」『筑波大学地域研究』34, 2013.
舘野太朗「神奈川県における地芝居の「復活」について」『まつり』75, 2013.
舘野太朗「地芝居と学生歌舞伎」『まつり』77, 2015.
富安風生編『俳句歳時記(全五巻)秋の部』平凡社, 1959.
宮入恭平編著『発表会文化論―アマチュアの表現活動を問う』青弓社, 2015.
守屋タケシ「農村歌舞伎研究の問題点」『藝能史研究』6, 1964.
安田徳子『地方芝居・地芝居研究―名古屋とその周辺―』おうふう, 2009.