芸術・免疫・例外状態

岡田温司美学会|京都精華大学

主に医学にかかわる「免疫」と政治・司法にかかわる「例外状態」とを、「芸術」と並べて、三題噺のようなタイトルを掲げましたが、本日のわたしの話は、この三つのキータームをめぐって次の二点に集約されます。まず、近代における芸術の自律化を、芸術の「免疫化」として捉え直すことができるのではないかということ。次に、この自律化=免疫化はまた、芸術を例外視する——「芸術は例外である」——考え方とも結びついてきたのではないか、という点です。

第一点目からですが、芸術はそれ自体として自己完結し、純粋なものとして他のさまざまな領域や言説から区別され独立しているという近代の発想は、美学の自律化とも関連して、芸術の外部にある異物や異分子にたいして芸術を守るという意味において、免疫化という比喩で語ることができるのではないか、とわたしは考えています。

「免疫」の語源はラテン語の「イムニタス(immunitas)」にありますが、これはもともと、贈与や捧げ物、義務や負担を意味する「ムヌス」に、打消しの接頭辞「イム」がついた語で、それゆえ、他者にたいする義務から免除されるという含意をもつことになります。つまり、芸術は芸術以外のものにかかわったり奉仕したりする必要はない、というわけです。やはり近代において誕生し発展する美術館やコンサートホールは、一部の特権階級から芸術を解放したという意味で芸術の民主化につながるわけですが、同時に、絵画や音楽を純粋なものとして味わうという意味では、免疫化された空間ともいえるでしょう。いわゆるホワイトキューブが典型的にそうですね。

周知のように、同じころいみじくもヘーゲルは「芸術の終焉」を予告していたわけですが、この名高いテーゼは、芸術は芸術以外のもの——たとえば宗教など——とのつながりを保っていたからこそ生きていた、と読み替えることもできるように思います。

おそらく免疫化の傾向は芸術に限られない話で、近代化そのものが免疫化の過程であったとすらいえるかもしれません。イタリアの哲学者ロベルト・エスポジトも指摘するように、西洋の近代は、「主体性」や「固有性」や「真正性」などというお題目のもとに、他者や外部にたいしてますます自己を守ろうとし、免疫化をはかろうとする傾向を強めてきた。つまり、免疫ないし免疫化は、西洋における文明化の形式そのものとなってきた、というわけです(『近代政治の脱構築——共同体・免疫・生政治』)。

ところが、このような芸術の自律化にして純粋化、すなわち「免疫化」が政治的なものを免れていて中立かというと、必ずしもそうではありません。有名なレッシングの『ラオコオン』(一七六六年)はそのいい例です。各芸術ジャンル——特に時間芸術と視覚芸術——の純粋性や自律性は厳格に守られなければならないとしたうえで、「ただし」と断って次のように述べているのです。

たとえばここに公正かつ友好的な二つの隣国があるとする。相手国が自分の国の中心部で勝手放題の振舞をすることはもちろん互いに許しはしないけれども、遠い国境地方においては、事情やむをえずして一方が他方の権利をいきなり侵犯するというような場合、このような些細な侵害は、双方おだやかに賠償で解決するという寛容を互いに失わないものであるが、絵画と文学との関係もこれと同じことである。(斎藤栄治訳)

レッシングはここで「寛容」と呼んでいますが、ロシアによるウクライナ侵略のことを考えると、本当はそんなに生易しいものでも、中立的なものでもないはずです。各芸術ジャンルを国家になぞらえることで、このドイツの思想家は、その中枢部分は侵害されてはならないが、周縁部分――国境地方――の侵害は致し方ない、というのですから。キーウがだめならマリウポリを攻めろ、あるいはキーウ周辺の町ブチャでは何をやってもかまわない、といっているに等しいわけです(日本の場合には沖縄がこれに相当します)。つまり、芸術の免疫化は、それにもかかわらずみずからのうちに、生政治的でかつ地政学的な意味を内包している、ということです。

次に、この芸術の自律化=免疫化は、同時に、芸術の特権化=例外化とも結びついてきたと考えられます。「主権者とは、例外状態に関して決断を下す者である」とは、カール・シュミットの名高いテーゼですが(『政治神学』)、芸術をこれと関連づけるのは、管見のかぎりでは、『アヴァンギャルドの理論』で知られるペーター・ビュルガーが最初です。一九八六年の論文「カール・シュミット、あるいは美学における政治的なものの基礎」においてビュルガーは、シュミットの「例外状態」はカント美学の政治的な対応物であると喝破します。つまり、みずからがルールとなるカント的天才は、ルールの外に立って支配する主権者に対応する、というわけです。

これを言い換えると、芸術家はあたかも主権者のごとく法の外に立つ、となるでしょう。たしかに近代以降のアートワールドにおいて、この理念はひとつのメルクマールになってきたように思われます。作家主義の先鋭ジャン=リュック・ゴダールが短編ドキュメンタリー『こんにちはサラエヴォ』(一九九三年)でみずから語るセリフ、「文化はルールだが、芸術は例外である」はその雄弁な例のひとつです。

さらに、現代の政治において例外状態(非常事態)こそが常態化していると批判するジョルジョ・アガンベンにならうなら(『例外状態』)、現代美術において(ルールの外に立つ)例外こそが常態化している、といえるかもしれません。例外であるかぎりにおいて、ルールを破壊するという身振りは最も有効な芸術的行為として機能することになるわけです。とすると、芸術の例外化と芸術の免疫化とは興味深いパラドクスを孕むことにもなります。すなわち、芸術と芸術でないものとの境界線がますますぼやけてくるというパラドクスです。一九七〇年の時点でアガンベンは、「芸術は死なない。死ぬことの不可能性を生きつづけている」と暴いていました(『中身のない人間』)。近代の「美学的体制」について語るジャック・ランシエールならこれを、「アートになる」ことと「アートに抵抗する」こととが同時に生起している、と診断することでしょう(『感性的なもののパルタージュ』)。

さて、こうした芸術の免疫化と例外化とが、近代において解放や抵抗のストラテジーと結びついてきたことはいうまでもありません。しかしその一方で、排他主義的な傾向や権威主義、さらには商業主義に転じるという側面があることもまた否定できない事実でしょう。「例外はない」というのが本来のデモクラシーのはずなのですから。

結論というわけではないのですが、最後に、次の二点を確認しておきたいと思います。芸術の自律化・純粋化に関連してよく引かれる言葉に、「すべての芸術は音楽の状態を憧れる」というのがあります。これは、とりわけジョルジョーネの色彩に関してウォルター・ペイターが当てた名高い箴言ですが(『ルネサンス』)、同時に、「異なるものへの憧憬」という含意をも有しています(拙著『イメージの根源へ』)。つまり、「異なるものへの憧憬」がないかぎり自律はありえないということです。

同様のことは、免疫についてもいえるでしょう。たとえば多田富雄に代表される近年の免疫学が、「閉鎖性」よりも「開放性」に注目していることはここで強調しておかなければなりません。自己と非自己、内部と外部との境界は絶えず揺らいでいて、明確な分割線が引けるわけではない、というのです(『免疫の意味論』)。病理学では従来、感染・伝染にたいする戦略として、「回避」と「抵抗」と「寛容」の三つが想定されてきたようですが、近年の免疫学は「抵抗」と「寛容」を必ずしも対立するものと捉えるのではなくて、「共に生きる」という意味で理解しているようです。そもそも抗原(非自己)がなければ抗体(自己)はつくられません。これを芸術に当てはめるなら、他へと外へと開かれているからこそ芸術は(相対的に)自律的でありうる、ということを意味しているように思われます。

藝術学関連学会連合事務局

大阪大学大学院文学研究科美学研究室

横道仁志 esthe{at}let.osaka-u.ac.jp