衛生学と電気照明と鉄筋技術が生み出した
近代コンサート?

岡田暁生日本音楽学会|京都大学

端的に言って、2020年に私たちが思い知らされたのは、「コンサートライフは大都会のインフラが演出する砂上の楼閣だった」ということであろう。いや、2020年といわず既に2011年に、電気が停止するとコンサートの営みは成立しないということを誰もが目の当たりにしていた。また2022年以後に予測される航空運賃や電気料金の高騰は、折に触れて私たちにこのことを思い出させるであろう。すなわち芸術の営みにとっての「2011+2020+2022」=「電気エネルギー+パンデミック+戦争」の問題は、三点セットで考えるべきだというのが私の考えである。

「夜になると大ホールに灯りがつき、スター音楽家が夜毎に来演し、電車で集まって来た人々が喝さいを送る」という制度は19世紀後半に生まれた。ウィーンの楽友協会ホール(1870年)をはじめとする、2000-2500人規模のホールが続々とヨーロッパで建てられる。世紀転換期のころよりコンサートホールは、電気で照らし出される光の館となる。その前提となったのは ①オスマンの都市改造以来の都市衛生の向上 ②資本主義後期段階(娯楽は金になる) ③鉄道網の整備 ④マネージメント制度の確立 ⑤鉄筋技術(手軽に大建築がつくれるようになる) ⑥電気照明の普及(1882年にウィーン宮廷歌劇場で実験され、バイロイト劇場は1896年に導入した) であったと定式化できる。

2011/2020/2022と同じように、この近代の文化インフラ施設が突然ストップしてしまったのが、およそ百年前の第一次世界大戦である。外来演奏家がまったく来なくなり、音楽家の多くが兵隊にとられ、「音楽は不要不急だ」の声が社会に充満した。しかし戦争の長期化とともに、「文化で勝つ」というロジックが広まり始める。音楽は文化プロパガンダに活路を見いだしたのである。慈善コンサートの類が無数に催されるようになる。例えばドイツ語圏の戦争末期においては、石炭不足でしばしばホールが停電になったが、コンサートは常に満杯だった。だがこの「好景気」は従来の芸術音楽の存立を支えていた自律性を犠牲にしてのものであった。

戦争によって揺さぶられた音楽生活にさらなるダメージを与えたのは、1918年秋からのスペイン風邪の大流行である。すなわち大規模なコンサートやオペラは再び上演不能になり、しかしストラヴィンスキーの『兵士の物語』のような「三文前衛音楽劇」ともいうべき、状況を逆手にとった斬新な創作も生み出された。『兵士の物語』は大規模ホールでなくとも上演できる移動芝居小屋ともいうべき作品だが、しかしこれとて、1918年9月の初演以後に予定されていた巡回公演はすべて中止になった。

後世から見たとき、第一次世界大戦は西洋音楽史の巨大な転換点の一つであったと分かる。それは交響曲/オペラ文化の衰退の始まりであり、レコードおよびラジオと結びついたアメリカのポピュラー音楽の台頭である。音楽状況の激変と戦争/疫病との関係を具体的で一対一対応的な因果関係として明らかにすることには限界があろう。しかしながら「芸術史の見えざる神の手」ともいうべきものが、ある時代に繁栄を極めたジャンルに対して、その歴史的使命の終わりを告げることがあるのかもしれないと念頭に置いておくことは、2020年以後の芸術の軌道を見極めるうえで無為ではあるまい。

藝術学関連学会連合事務局

大阪大学大学院文学研究科美学研究室

横道仁志 esthe{at}let.osaka-u.ac.jp