芸術はだれのものか――コメント
塚田 健一(東洋音楽学会)

写真 1 論点
(スライド1)
 先生方の論点は、このスライドのようになろうかと存じます。まず島本さんは「著作者と著作物との関係」に焦点を当て、「創作」というプロセスの機微な点をお示しになりました。

 塚田さんの論点は、先住民族の芸術作品に対する保護についてです。WIPO、つまり世界知的所有権機関は、この課題を「フォークロアの権利」と呼んでいます。このフォークロアは先進諸国のもつ知的財産権制度の枠組みのなかでは、パブリック・ドメインになってしまう。このようなお話であったか、と思います。

 兼子さんの論点は、著作物の「使い回し」「引用」といったことについてでした。ここでは著作物の「共有」が問題となっております。

 以下、コメントを申し上げたい、と存じます。

2 若干の準備
(スライド2)
 まず、著作権制度の歴史を簡単に、3分間で申し上げます。著作権制度は著作物のオリジナリティを尊重するために設けられた仕組みです。この仕組みは、近代的な制度としてはベネチアに始まり、15世紀以降、英国、米国、フランスで導入されます。この制度は、当然、出版事業、ここには版画の工房も含まれますが、つまり、コピー技術の実用化に伴っなって出現しました。そのインセンティブとしては、権力者にとっては検閲と特許料収入、出版者にとっては市場独占でありました。

 18世紀になりますと、「著作者」が著作権制度の利害関係者として入り込んできます。このあとフランス革命があり、ギルドが一掃され、天才的な著作者の権利が讃えられるようになります。「天才的な著作者」という言葉はフランス革命の真っ最中に作られたフランスの著作権法に書いてあります。

 この流れが19世紀後半にベルヌ条約として国際的に集約されます。これが著作権制度の骨組みとなり、このまま今日にいたっております。なお、フランス革命の時に制定された著作権法は、なんと1953年まで続きました。

(スライド3)
 20世紀末、二つの国際条約が加わります。1996年に、WIPO著作権条約が採択されます。この条約は著作権の流通制度をデジタル技術とインターネット環境へと適応させたものでした。

 もう一つ、WTOつまり世界貿易機関による「知的所有権の貿易的側面に関する協定」があります。この条約は1994年にできました。これは著作物を自由貿易の枠に組み込んだものです。

(スライド4)
 まずベルヌ条約を紹介いたします。実はここに「著作権」の定義はありません。WIPOの逐条解説を見ますと、この理由は、国によって著作権を支える文化が違うから、ということのようです。

 そのベルヌ条約をみます。まず「著作物」の定義ですが、それは「表現、形式の如何を問わない」、つまり何でも呑み込めるようになっております。つぎに「著作者」の定義ですが、これはトートロジーですね。また「オリジナリティ」については、定義はありません。これらを複合した概念が法律家のいう著作権になります。

(スライド5)
 いま、文化が違う、と言いましたが、じつは著作権制度には二つの流れがあります。大陸法の流れと英米法の流れです。それぞれの特徴をスライドでご紹介します。

 著作権とは、大陸法では「著作者の権利」つまり「オーサシップ」です。したがって著作者は自然人ということになります。一方、英米法では「複製物の権利」つまり「コピーライト」になります。ここでは、録音物も放送番組も著作物になりますし、法人も著作者になります。双方の違いは、人格権を含むのかどうか、という点にはっきり出ています。人格権がどんなものなのか、WIPOはこれを「不滅の絆」と称しています。

 ベルヌ条約は、その骨組みは大陸法に近いものでした。だが、米国が1989年にベルヌ条約に加入します。その米国は著作権ビジネスにおいて圧倒的な存在です。この後、ベルヌ条約のなかにコピーライトの発想が強く浸透するようになります。

3 島本論文について
(スライド6)
 以下、ベルヌ条約の原則にしたがって話を進めます。まず、著作者の「創作性」ですが、著作権の専門家は、このスライドに示すように、アレコレと定義しています。ただし、多くの場合、1番目の定義です。この定義によれば、コピーという行為がなければ創作性あり、ということになります。

 兼子さんの紹介された作家主義というのは、3番目の定義に近いのではないかと思います。

 島本さんのご紹介になったシャルダンの場合ですが、この時代の創作性は、ここに示したどの定義とも異なっているように思えます。シャルダンを高く評価したのはディドロであったということですが、そのディドロの編集した『百科全書』は、同時代の辞書類からコピーしていましたし、またコピーもされていました。このような時代の創作性概念が現代のそれと食い違っていても、不思議ではないでしょう。

 4番目の「選択的な表現」とは何か。20年ほど前、私は作曲家のキセナキスに質問したことがあります。あなたはストカスチック・ミュージックと称してコンピュータに作曲させているが、著作権についてはどうなのか。かれは答えました。コンピュータに複数の作品を作曲させて、私がそのなかからこれが完成品だといって選ぶ、だから私の作品になる。

(スライド7)
 しからば、創作性の概念は時代によってどのように変化してきたのか。これが島本さんのお出しになった問題でした。これについて、以下、米国を例にとって紹介いたします。

 まず、版画から絵画にいたる流れをご覧ください。私たちの感覚では最も創作性に富んでいるはずの絵画が、最も遅れて権利の対象になっています。

 つぎは映画です。映画が写真に繋がっており、演劇に繋がっていないのは、初期の映画がサイレントだったからです。つまり「言語の著作物」ではなかったからです。

 つぎは自動ピアノです。自動ピアノのテープは、楽譜のような可読性をもっていません。したがって著作物ではない、こんな判例が20世紀初頭に作られました。この判例は、後に、コンピュータ・プログラムに著作権を与えろという主張が現れたときに、その主張に待ったを掛けました。

 最後に、レコードについてです。ここではオルゴールがプロトタイプになりました。そのオルゴールはスイスの特産品でした。ベルヌ条約の採択に汗をかいた国のプロダクトでした。これを多として、ベルヌ条約はオルゴールを著作物から外しました。後にエジソンがシリンダー型レコードを発明したとき、これはオルゴールであるとみなされ、このために著作物として定義されるまでに時間がかかりました。付け加えれば、これはフランスの話でした。

 このように、著作権制度は、その時々の偶然的な要素が集積されてできたものです。つまり経路依存性があります。だから島本さんが、そして兼子さんがご指摘になったように、創作性の意味が、したがって著作者の定義が、時代とともに揺れてきたわけです。

 ただし確実なことは、その展開に経路依存性があったとしても、著作権制度は一貫して膨張路線をとってきた、ということです。

4 塚本論文について
(スライド8)
 つぎに塚田さんのお示しになった課題について考えてみます。これを「フォークロアの権利」と呼んでいることは既に申しました。WIPOは21世紀になるとともに、この問題の議論を始めております。だが、先進諸国はあまり熱心ではないようです。

 まず、フォークロアの特性ですが、それを現代の著作権制度と対比してみますと、第1に、著作者が不明です。第2に、著作物の同定が厄介です。たとえば、本のようにISBNを付けたり、あるいはバージョンを確定することができません。なによりも、保護期間はとうに過ぎています。いずれにしても、現代的な理解のもとではパブリック・ドメインにあります。つまり誰でも利用できることになります。このままでは、ベルヌ型の著作権システムには収まりません。

(スライド9)
 くわえて、先程、言いましたが、WTOの協定があります。これはベルヌ条約の定めた著作権から人格権を剥奪してしまいました。つまり、貿易財としては人格権は無用、いや厄介なお荷物になるだけ、ということです。人格権を外された著作権は、単なる商品になってしまいます。ここに米国の意向がはっきりと出ています。このような環境下では、フォークロアの保護など、いよいよ難しくなるでしょう。

 ただし、一つだけですが、それも、まだ微かなものではありますが、解決のための鍵はあります。それは特許の分野ですが、生物多様性条約というものがあります。この条約は、先住民のもつ「伝統的な知識」を管理することについて、第三諸国の政府に主権を認めています。しかも、これを利用した先進国の企業に対して、その利益を先住民に戻しなさい、と示しています。この枠組みにしたがった活動も僅かではありますが、試みられています。

 とすれば、著作権についても、生物多様性条約と並行して、文化多様性条約のようなものができないのか、といった考え方もありうると思います。

5 兼子論文について
(スライド10)
 兼子さんの論点は、著作物の使い回し、引用、相互参照などにかかわるものでした。つまり著作物の共有が論点です。これを実現するためには、当の著作物の著作権を制限しなければなりません。

 それはどんな場合か。これについてWIPOは三つの条件を設けています。

 第1の条件は「特別の場合」です。これには、公共政策上の判断がある場合と、市場の失敗を避けるためになされる場合とがあります。公共政策上の判断とは、たとえば報道、研究、教育に係わる場合です。表現の自由、学問の自由などが、ここに関係します。

 しからば、市場の失敗を避けるというのはどんな場合か。その典型的な例はプライベート・ユース、つまり私的使用です。公衆の私的なコピーを、逐一、法律の適用範囲に繰り込んでしまいますと、このとき、著作権の管理コストが膨大になり、制度の維持ができなくなる、ということです。ただし最近、この点については技術によって克服できる、という考え方も現れています。デジタル権利管理技術が実用になったためです。

 第2の条件は「著作物の通常の利用を妨げない場合」です。第3の条件は「著作者の正当な利益を害しない場合」です。「一時的な複製」や「引用」がここに入ります。

(スライド11)
 兼子さんのお示しになったもう一つの論点は、ユーザーの参加するインターネット環境においては、現行の著作権制度が不適合になる、ということでした。

 ここでは「公衆送信」という新しい概念が、WIPO著作権条約において定義されました。実は、この概念には大きな歪みが隠されています。これをスライドで示しましょう。青が著作権制度の適用範囲、赤が電気通信法の適用範囲、緑が双方の重なる範囲、と理解してください。

 まず、放送型のモデルがあります。ここでは著作者→流通事業者→公衆と、つまり川上から川下へと、一方向的にコンテンツが流れます。この流通事業者は、書籍であれば出版社。映画であれば映画会社。放送番組であれば放送局、このようになります。つまり、このモデルは、ベルヌ型の著作権ビジネスを示すもので、ここに無理はありません。

 ここでは、著作者は流通事業者をコントロールすれば、それでよい。流通事業者がボトルネックになりますので、ここを抑えれば、ロイヤリティの取りはぐれはない。公衆は制度の外に置いても大勢には影響しない。このようにして、私的使用という制度が正当化されたわけです。

 つぎは通信モデルです。通信事業はコンテンツとは無関係です。コンテンツはコントロールしません。コンテンツを流すパイプだけをコントロールします。通信の秘密という原則があるためです。ここではユーザーは公衆から公衆へ、しかも双方向で交信します。著作権制度の側からみれば、通信制度はこのように公衆、つまり著作権の及ばない人びとを相手にしていたことになります。付け足せば、電気通信制度においては、通信が放送の上位概念になっております。

 だが、WIPO著作権条約は、いま、言った通信モデルと放送モデルとの関係を制度的にマゼコゼにしました。ここでは「公衆通信」という概念を定義し、通信モデルのもとに放送モデルを詰め込み、通信モデルによってコンテンツを管理できるようにしました。同時にオンライン・アクセスに対して「公衆自動通信」という概念を設け、公衆を著作権制度のなかに取り込みました。

 ただし、ビジネス、技術、ユーザーの実体は以前のままです。このために新しい制度と既存の秩序とが衝突し、慣行として許されてきた公衆の行動がコントロールの対象になりました。第1に、公衆と公衆との双方向性が無視されました。第2に、その公衆が著作権制度のコントロールを受けるようになりました。したがってこれまで自由であった私的使用を、新しい制度はダメ、と咎めるようになったわけです。

 注意すべきことがあります。この公衆が強力なコピー能力と、それなりの創作性を持つようになったことです。しかも、その人数が膨大になりました。さらに注意すべきは、この公衆にとって、現行の著作権制度が煩雑にすぎる、くわえて、私的使用に慣れきっている、ということがあります。

6 まとめ
(スライド12)
 まとめに入ります。どんなシステムであっても、自己保存的な挙動をいたします。そして拡張路線をたどります。著作権制度もそうです。

 技術、ビジネス、侵害の方法、これらは絡み合って、めまぐるしく変わっています。ここでは、制度は、部分最適、短い寿命での交替という形で、激しく動いております。もう、全方位的な、長期的な、調和のある法律の整備は望めなくなっています。当面は契約と技術とで糊塗しながら、つまりピースミル・エンジニアリング的な方法で、あるいは叩き大工的な方法で、この変化に対応せざるをえません。

 この結果、ウシを呑み込もうとしたイソップのカエルのように、このシステムは、やがて破裂するかもしれません。制度には綻びが生じ、二重標準も現れるでしょう。すでに、そう、なりかかっています。この具体的な現象を、講師の先生方は、それぞれの見方でご紹介になさった。このように私は思います。



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