藝術とインタラクティビティ
.――技術の立場から考える――

原島 博(東京大学名誉教授、女子美術大学客員教授)


写真  いまメディアアートの分野では、アーティストだけでなく情報関連の工学研究者が、自ら積極的に先端技術に基づいた作品発表をおこなっている。私自身も技術の立場から、広く藝術に関心を持っている。2004年度から科学技術振興機構において戦略的創造研究推進事業(CREST/さきがけ)のプロジェクト「デジタルメディア作品の制作を支援する基盤技術」領域が発足し、その研究総括もつとめている。
 このプロジェクトの一つの目標は、技術者とアーティストの連携によって、メディア藝術の新たなコンセプトを提唱することであって、美術館の外へ飛び出すことを志向したデジタルパブリックアートの研究などがおこなわれている。
 メディアアートは、他の藝術作品と同じように美術館で展示されることが多い。しかし、それは果たして本質なのだろうか。メディアアートの特徴が、もしそのインタラクティブ性にあるとすれば、それを美術館という限られた空間におくことによって、むしろ本来のインタラクティビティの可能性を狭めているのではないだろうか。
 藝術の市民化、大衆化を目指した「近代」は、大衆による藝術作品の鑑賞の場として、美術館や映画館などの○○館を設けた。映画館などの一部については、技術がその後押しをした。しかし、そのような「館」は作品だけの展示空間として設計され、作者と鑑賞者がそこで出会うことは少なく、鑑賞者が作品に影響を与えることが禁じられた。すなわち、もともと藝術が有していたインタラクティビティが失われたのである。
 藝術におけるインタラクティビティの復活は、個人的には藝術が「館」を飛び出すことにあるのではと、素人ながら考えている。飛び出すことにより、藝術作品は、それがおかれた自然、都市、生活空間などの「場」と関わりを持つようになる。また、そこに生活する市民、住民などの「民」も、さまざまな形で作品と関係する。
 ランドアート、アースワークなどのサイトスペシフィックアート、越後妻有でのアートトリエンナーレ(大地の芸術祭)などでは、住民参加が一つのキーワードとなっている。古くは柳宗悦らの民芸運動も、地域における民衆の芸を引き出すという意味では、藝術と場あるいは民との間の双方向のインタラクティビティを志向したと言えるかもしれない。そこでは、「アーティスト」と「民」の関係が問われることになる。「民」は単なる協力者なのか、それとも次第に主役になっていくのか。
 最初に述べたように、私の専門は技術である。メディアアートは、インタラクティブアートとも呼ばれる。そこでのインタラクティビティはコンピュータなどの技術によって可能となっている。したがって、藝術とインタラクティビティの関係は、一般には技術と関連させて語られることが多い。
 それはある意味で重要な意味を持っているが、それだけに議論を集約することは危険である。上で述べたように、メディアアートが「館」の中だけで閉じこもっていたのでは、真の意味でのインタラクティビティは生まれない。むしろ技術の重要性は、それが「場」や「民」との結びつきも含めた藝術創造の新たな可能性を提供することにある。
 チューブ絵の具の登場が、美術制作の場を屋外に拡張したことはよく知られている。メディア技術の発達も、たとえば絵画に対して、写真は写実性、映画は動き、テレビは実時間性、マルチメディアは双方向性、VRは体感性を、それぞれもたらした。そしていま、インターネットに代表されるネットワーク技術は、藝術分野において新たな可能性を提供しようとしている。
 インターネットにおける重要なキーワードは「進化」である。インターネットは、常に進化する。発明者や設計者の想像を超えた存在になる。それは、時空を超えて利用者自らが、それを進化させるからである。このようなネットワークに、もしかしたら無数の作家(それは鑑賞者でもある)が協調的に関わることによって、自ら進化するという意味でこれまでとは全く異なる新たな藝術が誕生するかもしれない。無数の作家(鑑賞者)が関わるという意味では、それはロングテールアートと呼ぶこともできよう。
 ネットワークは、ユビキタスの時代にはリアルワールド(実世界)と結びついてますます進化する。それにあわせて、藝術もさまざまな可能性が生まれよう。そこでは、このシンポジウムのテーマであるインタラクティビティが、ますます重要なキーワードになってこよう。
 さらに言えば、藝術の新たな可能性を拓くという意味だけで、技術の進歩をとらえることもまた一面的である。むしろ、技術は、「それまでの藝術に対する問題提起」を常におこなってきた。たとえば写真技術は、絵画という美術に対する問題提起であった。
 逆にこれからは、「藝術の側から技術への問題提起」が積極的になされていい。むしろ技術者としては、そのようなインタラクティビティを望んでいる。私のような技術者が藝術に関心を持つ理由もそこにある。



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