インターネット上での音楽や動画の配信、携帯電話向けの小説やマンガの配信などが急速に一般化しつつある状況の中で、芸術作品をめぐって著作権に関する事柄が議論になる機会が増えている。これらの議論は、多くの場合、現実的な権利問題に終始するものであるが、著作権の問題は実務的・法律的な枠組みをこえた奥行きを持っており、今こそそれを歴史学的・文化論的に議論することが必要なのではないか。 著作権の前提となる「作者の権利」という概念自体が、美学思想史的に見れば、近代において作品、作者、独創性といった概念とともに確立してきたものであり、所有権の思想等の、近代的な政治・経済システムの根源に関わる様々なイデオロギーを背景としている。また、この概念は、民族学的アプローチから見れば、きわめて西洋的な芸術作品のあり方を前提としており、グローバル化の中で、西洋の芸術とは違う成り立ちを持つ多様な諸文化に対して西洋基準を押しつけるという差別的な側面をも持っている。 また、作者の位置づけや関与のあり方は、音楽における演奏家、映画における監督といった存在も示すように、それぞれのジャンルごとに歴史的にも異なった成り立ちを持つ、きわめて多様性に富むものである。「作者の権利」が一元的に措定できるかのように考えること自体に無理があり、著作権を論じるには、そもそも「作者とは何か」ということをまずきめ細かく論じなければならない。 だが、現代においては、芸術作品の流通がインターネットによって、地域や領域による文化の違いをこえて、事実上一元化しつつある。そこで起こっている問題に対処してゆくには、著作権自体の概念史やこれまでの議論の歴史に関して造詣の深い専門家も交えながら、芸術に関わる諸学問領域の叡智を結集し、作者と受容者、さらにそれを媒介する産業、メディアといった様々な要素の関係性のあり方自体について、その歴史的変化や地域的・領域的多様性を考慮しつつ考えてゆく必要がある。そのような問題に取り組むことは、芸術に関わる諸学会の連合体として、様々な学問的蓄積を持った我々こそが果たすべき社会的責務であると同時に、我々にとっても、芸術における作品や作者というもののあり方について根本的なところから考え直してみるための絶好の機会であろう。 コーディネーター 木村 建哉(日本映像学会) 渡辺 裕(日本音楽学会) 近年しばしば話題になる「著作権問題」について考えることは、美術館にとっても、コレクションの公開、写真資料の掲載許可等々に関して重要な課題となっています。また、伝統工芸をはじめ、藝術全体において、そして藝術のみか私たちの世界全体において、先達の模倣はすぐれた技を身につけるための、創作の必須の前提であり、「独創性そのもの」など本当は存在しません。先達の優れた技を真似、それを身につけることで藝術は進展してきました。師は弟子が自分の技を習得したのを知ると、喜びさえ感じるのです。ここでは「著作権」など問題にもなりません。私たちは今、「独創性神話」を考え直す必要があります。それは特定の商品経済観念に拘束されているのです。「独創的なもの」とは、人が「真似したくなるもの」、つい「真似てしまうもの」です。ですからそれは実際には常に「著作権をはみ出すもの」なのです。このシンポジウムは、このような問題を多くの人々と改めて考える絶好の機会になるでしょう。皆様のご参加をお待ちします。 京都国立近代美術館・館長 岩城 見一(美学会会長) ※当日の模様が京都新聞(2007年7月4日)で紹介されました。 >>>詳細 |