1972年にミュンヘン・オリンピックが8月から9月にかけて開催され、大会の直前にスポーツ科学の国際会議が開催されました。オリンピックの際に芸術展示などの文化プログラムが開催されていることへの着目が本シンポジウムの前提となっていたと思われますが、オリンピックやワールドカップなどの大規模な国際スポーツ競技会の折には、スポーツ科学に関する国際会議も開催されます。そうした動きの中で「スポーツ美学」という研究分野がスポーツ哲学の一領域として、1970年代、英米において注目されはじめました。1974年に発行されたスポーツ哲学会の機関誌『スポーツ哲学研究(Journal of the Philosophy of Sport)』の第1巻には、スポーツの美学的研究に関する論文が4篇収められています。Readings in the Aesthetics of Sport (1974)といった書物も出版されました。
わが国では、1933年に書かれた中井正一の「スポーツ気分の構造」という論文が上げられます。中井の論文は、英米の諸研究に先駆けるものでした。その後、日本でもスポーツ哲学の領域で、1970年代になって数冊のスポーツ美学の書物が出版されました。これらの英米を中心にした諸研究、ならびに日本における数件の研究の検討をふまえ、体系的な考察を展開したのが、私の『スポーツの美学』(1987)でした。私の研究は、芸術やスポーツの歴史的・社会的変遷のあり様を問題にするといったものではなくて、1980年代時点での日本における美の哲学としての美学の視点に立って、「スポーツにおける美(The Aesthetic in Sport)」の構造を、美的体験、美的対象、美的価値原理といったフレームワークから論じたものでした。
私の『スポーツの美学』でも、芸術とスポーツの関係は問題になっています。それは、芸術と美の本質的な関りから、スポーツの美を論じる際にもおのずから芸術がその視野の中に入ってこざるを得ないという理由から来るものでした。これまでの美学の考察の主要な対象は何と言っても芸術であり、スポーツを美学的に論じる場合、もはや芸術の問題を抜きにしては十分なことは語りえないということが、芸術とスポーツの関係を問題にする前提でした。
それとは少し違った形で、1970年代の終わりから80年代にかけて、「スポーツは芸術か」をめぐっての論争が起こりました。それは、イギリスの美学者David Bestとアメリカの哲学者Spencer Wertzのやりとりに端を発した熱い論争でした。ワーツは、スポーツは芸術だと言います。ウィンブルドンでなされるようなすばらしいゲームは芸術的であり、そのような「偉大なゲーム」は、重要な社会的、道徳的な問題をも表現することになるだろうと主張します。スポーツに対する或る種の熱い思いが感じられる発言です。
それに対してベストは、「スポーツは芸術ではない。そのことはスポーツの価値を落としめることでは少しもない。逆に、芸術の基準を適用することによってスポーツの価値は下げられてしまうだろう。疑いなくスポーツはすぐれて美的なものである。なぜスポーツ自身の美的基準でスポーツを考えようとしないのか」と反論します。スポーツは芸術と適切に区別されて、その独自の美的性格が独自の尺度で測られなければ、スポーツの本質的な人間的意味は理解できないと言うのです。
この論争の背後には、「芸術という概念の拡張の問題」「芸術とスポーツの論理的な区別」そして「美的なものと芸術的なものの区別」といった基本問題があります。こうした問題を考察しながら、私はワーツらの思いの裏に、スポーツを芸術と見なしたいとする意図があることを指摘しました。芸術は文化的に高い地位にあることが一般的に認められているので、スポーツを芸術と見なすことによってスポーツの地位を高めたいとする願望があるように思われるのです。こうした状況からすれば、スポーツに多くの関りを持って―例えば自ら競技者であったなど―スポーツ論を展開するスポーツ学者は、スポーツは芸術であると見なしたがります。一方、スポーツなどに関心のない美学者からすれば、スポーツは芸術ではないかといった問いなどナンセンスということになりがちです。しかし、その背景にある「芸術は文化的に高い地位にある」という思いなしを疑わないという点で、スポーツ学者も美学者も同じイデオロギーの中にいると言わざるを得ません。私はベストを支持して議論を展開しました(樋口聡『遊戯する身体』、1994)。
この論争は1980年代の終わりに収束を向かえますが、それから約10年後に、別の形で現れます。美学界の少なからぬ人が知っているWolfgang Welschの議論(1999)です。ヴェルシュは、現代社会の日常生活の美学を考える格好の事例としてスポーツを取り上げます。その議論を構想する過程で、ヴェルシュはスポーツを芸術と見なすことはできないかという問題に行き着きます。彼が最初に抱いた印象は、確かに現代スポーツは美的ではあるかもしれないが芸術ではないだろう、というものでした。しかし、スポーツが芸術であることを否定しようとしてみたとき、彼は驚きとともに困難に直面します。従来の美学の議論の常識が揺らぎ始めたのです。そして、ヴェルシュはスポーツを芸術と見なすことが可能であると確信するに至り、その論拠を示したのが、以下の論文、Welsch, W. “Sport – Viewed Aesthetically, and Even as Art?” in XIVth International Congress of Aesthetics; Proceedings Part I, 1999、です。ヴェルシュの議論についてまず私たちが理解しておくべきことは、スポーツの美的な側面に着目したり芸術であると捉えてみたりする際に従来の「スポーツ」「美的」「芸術」などの概念の変更可能性が前提になっていることです。ヴェルシュの議論では確かにスポーツがテーマとなっているのですが、スポーツが芸術か否かを問う問題を通して、それが同時に芸術の概念を検討することにもなっているのです。
スポーツは芸術か否かを問うには、スポーツについての十全たる理解とともに、「芸術」をどう捉えるかということが問題にされなければなりません。この「スポーツは芸術か」という単純な問いにイエスと答えるかノーと答えるか、その答え自体が重要であるわけではなく、この問いによってスポーツとの比較のもとで「芸術」とは何かを改めて考えることになります。それが芸術とスポーツの関係論の意義です。
従来の「芸術」概念を、行為の原型に遡り、また現代の芸術概念の変容も考慮に入れながら相対化しつつ、新たな芸術概念を創出するときに私たちはいるように思います。その新たな概念を同じく芸術と呼ぶことをとりあえず回避して、私たちは「アート」というカタカナ表記の可能性を考えてみることができるでしょう。今日の壮大なオリンピックと芸術がいろいろな形で融合し、パラリンピックが人間の身体性の新たな側面を見せている今、私たちはオリンピック・パラリンピックにおいて、この意味でのアートと向きあっているのではないでしょうか。芸術とスポーツの関係論は、そうしたことを示唆しているのです(樋口聡「スポーツの美学とアート教育」佐藤学・今井康雄(編)『子どもたちの想像力をはぐくむ―アート教育の思想と実践―』東京大学出版会、2003年)。
ところで、スポーツを主題にした「スポーツ芸術」の問題として、「芸術競技」の歴史的研究などが進められています。スポーツ美学の黎明期にも、19世紀末以降の近代スポーツと近代美術の密接な関係を指摘する研究論文が書かれていました。印象派は、サロンが芸術の適切な主題と見なしたものに対する革新的態度を表明したのであり、戸外に飛び出し、刻々と変化する光の様態や色調の変化を描くために、スポーツ的主題を使ったのでした。後期印象派とキュービズムは、スポーツを現代的風景の一部と見なし、未来派は20世紀のダイナミズムとスポーツを結び付けました。現代の都市環境の荒れた現実をスポーツは反映すると見なした芸術家や、ポピュラー文化の一つとしてスポーツを描く芸術家もいました。スポーツは芸術に描かれることで、政治的プロパガンダに使われもしたのです。総じて、スポーツを芸術という媒体に移し変えようとすることで、芸術のそれまでとは違ったあり様を探ることを、芸術家たちは行ってきたと言えるでしょう。このような問題提起が、すでに1974年になされていたのです(Masterson, D.W. “Sport in Modern Painting” Readings in the Aesthetics of Sport, 1974)。