芸術とスポーツは、縁遠いようで、さまざまな親近性がある。
古来、「アスリート」「体育」「スポーツ」「体操」、もしくはそれに類するものは美的表象の対象や主題だった。《円盤投げ像》など古代ギリシアの彫像、浮世絵における「力士絵」、マイブリッジによる馬の連続写真、テニスをテーマにしたニジンスキー《遊技》、また《インビクタス》などスポーツを主題とした映画や写真などがあげられる。スポーツはまたデザインやファッションとも親近性を持つ。「ポロシャツ」「ラガーシャツ」、あるいは「スタジアムジャンパー」などは、その名のついたスポーツなどから発想を得ている。2021年東京大会が開かれるオリンピック・パラリンピックも、「スポーツの祭典」とされながら、近代におけるその創設当時から文化・芸術と密接な関係を持っていた。
1912年ストックホルム大会から1948ロンドン大会までは、絵画、彫刻、音楽、建築、文学という五「種目」に関してメダルが競われ、その廃止後も「文化プログラム」として芸術展示を行うことが「オリンピック憲章」に定められている。
2012年ロンドン大会では、文化プログラムとして、ドイツの振付家ピナ・バウシュが招聘されて10作品を上演した。2021年大会も多くの「文化プログラム」が予定されている。
一方、こうした、芸術のためのプログラムとは別に、「本体」であるスポーツ、あるいはオリンピック・パラリンピックそのものの運営にも芸術は様々な形で関わっている。ベルリン大会におけるマリー・ヴィグマンやルドルフ・ラバン、アルヴェールヴィル大会におけるフィリップ・ドゥクフレ、北京大会におけるチャン・イーモウなど、開会式や閉会式には、開催国を代表する芸術家が監督として関わる。大会ロゴ、ポスター、選手ユニフォームデザインなどは、東京大会での田中一光など、その国の代表的デザイナーが手がけた。東京大会ではまた、現在、全世界で広く用いられるピクトグラムが考案される。ベルリン大会におけるレニ・リーフェンシュタール『オリンピア』、市川崑監督『東京オリンピック』など、映像との関係も見落とすことはできない。
さらに、スポーツそれ自体にも美は内在している。フィギュア・スケートやアーティスティック・スウィミング、新体操などにおける「芸術的要素」、あるいは、体操日本選手が口々に語る「美しい体操」という言い方、さらに、そもそもスポーツ選手の身体一般についてなされる「美しい」という言い方がそれである。
一方、オリンピックはまた、同時に、世界規模での「身体政治」や「政治の美的顕揚」の装置でもある。それ以前に、19世紀における「体育」「体操」、ならびに、20世紀における「スポーツ」の誕生と、19世紀における「芸術」の制度化との間には、ひとしく近代化の過程として平行関係があったはずだ。それとコインの裏表の関係にあるものとして、同時に発生した、スポーツにおけるアマチュアと、絵画や音楽、ダンスなど芸術のアマチュアの役割に注目することも出来るだろう。さらに、同じ身体技能でもスポーツとダンスにどのような相違があるのかを問題にすることも出来るかもしれない。
2021年夏の開催を前に、オリンピック・パラリンピック、またスポーツのあり方を、芸術という切り口から、多角的に掘り下げる機会としたい。
私はコンテンポラリーダンサーの立場からフィギュアスケートやアーティスティックスイミングの日本代表選手の「表現力向上」の指導を10年以上手掛けてきました。彼らは「音楽との同調」をとりわけ重要視して「何かを表現しなければならない」と義務感にかられ、採点競技ゆえ定型的なものに価値を置く傾向にあります。この場面でどのように運動の巧みさや機能的な動作、遊戯性を通して、動きの本質の美を高めようとしてきたかをお話しした上で、 スポーツのなかに芸術を見出す瞬間(永遠性・普遍性)について個人的な意見をお話ししたいと思います。[詳細]
アートとスポーツが誰のためのものでもあるという前提に立つ時、重度・重複障害児の心身から生まれる身体運動や美的(感覚的)な表現性はどのように捉えることができるだろうか。また、アートやスポーツの概念はどのような再編が必要となるだろうか。本発表では、身体行為を根本的な水準で捉え、アートとスポーツを結び付ける試みとして重度・重複障害児の造形活動で見られる「遊戯性」を視座として導入し、 両者の根源的な共通項を探る。[詳細]
「スポーツ美学(Aesthetics of Sport)」と称される研究が、1970年代に英米を中心に「スポーツ哲学」という学問分野の一領域として始められた。その機縁を、1972年のミュンヘン・オリンピックの際の文化イベントの一つであったスポーツ科学会議に求めることができる。スポーツ美学の研究課題の一つに「芸術とスポーツ」の関係論があった。スポーツは芸術と見なせるのではないかという議論である。本報告では、その問いをめぐる論争について概説する。さらにスポーツ美学の黎明期の、 近代絵画とスポーツの関係を論じた一つの英語論文(1974)を紹介する。[詳細]
オリンピックに競技種目として芸術が加わったのは1912年ストックホルム大会からであるが、本格化するのはドイツが復帰し、1928年のアムステルダム大会からである。この祭典は1936年ベルリン大会ではナチ政権下で実施されため、30年代の政治状況の影響を受けないわけにはいかなかった。日本は次回開催のために準備を進めた一方で、大会そのものへの美術家の反対運動を惹起した。 国策とからむ文化事業と美術の関係について考察する。[詳細]
本発表では芸術とスポーツの関係を「ゲーム」という第三項を介して考える。芸術とゲームはどちらも「社会的状況のモデル」と考えられてきた。他方、両者の構造的違いを重視して「ゲームは芸術にはなりえない」と主張する論者もいる。こうした議論は、ゲームの一種であるスポーツにどこまであてはまるだろうか。またそもそもスポーツはゲーム全般の中でどのような位置を占めているのか。こうした基本的問題の整理は、「ゲームを使ったスポーツ」であるエレクトロニック・スポーツ(eスポーツ)を理解するためにも急務であろう。[詳細]
藝術学関連学会連合事務局
高安啓介 office{at}geiren.sakura.ne.jp