「核兵器時代」のグラウンド・ゼロに「人間全体の恢復」の原点を見いだそうと『ヒロシマ・ノート』を綴った大江健三郎は1973年に、原民喜の戦後の作品の選集を編んでいる。広島の出身で、戦後はこの地で原子爆弾のもたらした惨禍に遭ったことを原点に作品を書き継いだ原の「夏の花」三部作を中心とする選集の解説に大江は、朝鮮戦争が核戦争に発展しかねない状況のなかで原が鉄道自殺を遂げたことに触れながらこう記す。「われわれは、原民喜がわれわれを置き去りにして出発した地球に、核兵器についてなにひとつその脅威、悲惨を乗り超える契機をもたぬまま、赤裸で立っているのである」。この一文が書かれてから半世紀を経た今、原が自殺した頃と同様に戦争が続き、核による破滅の危機は、さらに人類の肌へ近づいている。
このような状況を見据えながら、今回の報告では、歴史の積み重なった現在を照らし出すとともに、死者を含めた他者とともにある生存を、深く省みる契機をもたらす芸術の可能性を、ヒロシマからの芸術の展開に探った。それを示す一つとして原民喜の戦後の詩作をあらためて顧みた。その基本的な姿勢を表わすものとして、やはり「夏の花」のなかに記された「このことを書きのこさねばならない、と、私は心に呟いた」という言葉を挙げなければならない。そこに表われる決意にもとづいて書かれたこの小説において原は、一つの眼となりながら、出来事の媒体になるような言葉を選び取ろうとしていた。このことに被爆以後の文学の始まりを見ることができよう。「すべて人間的なものは抹殺され」、地上にあるものが巨大な力の前に剝き出しにされた世界、この「パツト剝ギトツテシマツタ アトノセカイ」に向き合おうとする言葉が生成しつつあるのだ。
今回の報告では、一つの都市の壊滅と、そこに暮らす者の抹殺というかたちで人間とその世界の歴史の断絶が刻印された場所から、芸術を新たに始めようとする試みに着目した。断絶からの芸術とは、傷からの芸術でもある。今回は原民喜の詩作に加え、現代美術作家、殿敷侃の造形にも触れたが、それは原爆によって自身に刻み入れられた傷を引き受けるところから繰り広げられている。そこから絶えず湧き上がる記憶の媒体を形成しながら繰り広げられる芸術。それを貫くのは、批評的な省察にもとづく芸術の変貌である。それは殿敷においては、すべてを前へ押し流し、使い捨てていく消費社会の流れに抗いながら、時系列そのものを逆流させようとする行為に至る。今回の報告では、こうした傷からの芸術の批評的変貌の一端を検討することで、戦争と核の災厄が人々を襲い、破局の歴史が続く現在に生存の道筋を開く芸術の可能性を探った。
高度経済成長期に画家として活動を始めた殿敷侃は、被爆によって、またそれからほどなく両親を失ったことによって癒やしがたい傷を負ったことを執拗に確かめるように点描を繰り広げ、両親の非命の死が何であったかを、その遺品に託して問いかけていた。点描のモティーフをシルクスクリーンなどによって、より広範囲に展開するようになるなか、殿敷は、自身の傷からの芸術を、絶えず前へ進もうとする社会へ送り出すことの意味を問わざるをえなかったはずだ。公害などの犠牲を払いながら核開発を含む開発を推進し、古くなったものを廃棄していく動きに絶えず含まれる忘却。これを問いただす可能性へ向けて、彼の芸術は大きく変貌しながら展開した。そのことは殿敷の早すぎた晩年には、集団を巻き込むパフォーマンスとともに造形されるインスタレーションに行き着く。その痕跡である「お好み焼き」は、今も広島市現代美術館に残されている。
廃物を焼き固めるなどして一つの場所に凝集させる殿敷の方法は、彼が「逆流する現実」と語ったとおり、公共空間でもある現実の空間に時間の逆流を引き起こし、「成長」などの名の下で前へ進もうとする動きに抵抗するものと言える。同時にそれは、一つの都市を壊滅させ、両親の命を奪うに至った破壊を、それが今なお形を変えて続いていることを、廃棄されたものたちに語らせる。その言葉は見る者に、人間による生あるものの破壊の傷が取り返しのつかないかたちで刻まれ続けている世界──「パツト剝ギトツテシマツタ アトノセカイ」──に生きていることを思い起こさせるだろう。原民喜は、このような世界にあってなお、死者たちを想起しながらうたう詩を、「鎮魂歌」などの作品で、既成の文学の枠を越えながら探究していた。
このようなヒロシマからの芸術の強度を受け止め、それが傷からの芸術であることを顧みるならば、傷をもたらした出来事が、人の身に起きたこととして想起されると同時に、その衝撃によって芸術が変わらざるをえなかったことを省察する契機が得られるだろう。そうして傷を絶えず新たに名づけつつ、傷からの芸術の可能性を問う批評的な思考──それは作品を制作する側にも、受容する側にも分かち合われうる──は、想像を絶するとされる出来事を前に、それでもなおこれに巻き込まれることに思いを馳せるなかで、既存の地平を越えて展開されうるだろう。このことは同時に、癒えようのない傷がそこにあることを、そこから湧き上がるものとともに受け止める余地を、人々のなかに開くにちがいない。
そうして傷を名づけ続けながら、傷を負った者たちとともにあろうとする思考から繰り広げられる芸術こそが、非命に斃れた者、遺棄された事物、そして今も傷を負いつつある者とともに生きる時空間を、今ここに切り開くだろう。その行為は、人間を含めた生あるものを使い尽くして廃棄し、生存の環境を破壊していく破滅的な趨勢に抗うものである。その行為は同時に時系列を攪乱しながら、現存の制度を突き抜けていく。このように革命的な行為として表われ、批評的な思考とともに展開する芸術。それは生存の芸術である。今回の報告では、原民喜や殿敷侃らの傷からの芸術へ注意を向けながらこの生存の芸術の可能性を探究することに、他者とともにある生と、その前提としての平和が懸かっていることを示唆しようと試みた。
藝術学関連学会連合事務局
横道仁志 esthe{at}let.osaka-u.ac.jp