皆さん、こんにちは。今日は、「生成AIが人間の創作を代替するに至った場合、それでも著作権法は必要か?」というテーマについて考えてみたいと思います。
まず、生成AIと著作権をめぐる議論の状況から見ていきましょう。
特に、AIが生成した表現の著作物性について、近年活発な議論が行われています。 AIが自律的に生成した表現物は、果たして著作物と言えるのでしょうか。この問題を考える上で、示唆に富む事例があります。アメリカでは、あるAI開発者のある博士が、生成AIによる「A Recent Entrance to Paradise」と題する画像作品について、AIの所有者である自身が著作者であることを争いましたが、2023年8月の裁判所の判決では、人間が関与していないという理由で著作物とは認められませんでした。[1]
つまり、現時点では、人間の関与が認められないような、AIが自律的に生成した表現物は、著作権法の保護対象にはならないと考えられているわけです。上記はアメリカの事案ですが、日本でも同様に考えられます。 他方で、人間がAIを道具として使って創作的に表現を生成した場合はどうでしょうか。この場合は、著作物として保護される可能性があります。 例えば、漫画家がAIを使ってキャラクターをデザインし、それをもとに漫画を描いたとします。この漫画には、著作権が認められる可能性が高いと言えるでしょう。
アメリカでは、こうしたAIを使った創作物の著作権をめぐって、いくつかの裁判例や著作権局の判断が出ています。それらを見ると、総じて人間の強い関与を求める厳しい立場がとられていることがわかります。 日本でも同様の議論があり、人間の強い関与を求める見解が有力となっています。 つまり、AIを用いた創作物の著作物性を判断する上では、人間の創作的関与の度合いが重要なポイントになるわけです。 ただし、その線引きは簡単ではありません。どの程度の関与があれば、人間が創作的に表現したと言えるのか。その判断は非常に難しい問題だと言えます。
たとえば、2023年11月、北京インターネット裁判所はAI生成画像の著作物性を認める興味深い判決を下しています。裁判所は、原告によるAIへの指示や画像生成後の修正過程を評価して、問題となった画像は著作物といえると判断しました。[2]
この点について、文化審議会著作権分科会(文化庁)『AIと著作権に関する考え方について』(2024年3月)が、ある種のガイドラインを示しています(以下、『考え方』とする)。 それによれば、「生成AI に対する指示が表現に至らないアイデアにとどまるような場合には、当該AI 生成物に著作物性は認められないと考えられる」(『考え方』38頁)とされています。 たとえば、生成AIに、「猫の絵を描いてください」といって出力された画像のようなものは、著作物とはなり得ないということです。
しかし、生成AIを利用したあらゆる場合に、著作物性が否定されるわけではありません。 上記の『考え方』によれば、「AI 生成物の著作物性は、個々のAI 生成物について個別具体的な事例に応じて判断されるものであり、単なる労力にとどまらず、創作的寄与があるといえるものがどの程度積み重なっているか等を総合的に考慮して判断されるものと考えられる」と言います。 また、「人間が、AI生成物に、創作的表現といえる加筆・修正を加えた部分については、通常、著作物性が認められると考えられる。もっとも、それ以外の部分についての著作物性には影響しないと考えられる」(39頁)ともしています。 したがって、人が思想又は感情を創作的に表現するための「道具」としてAIを使ったものは、著作物になり得るとのことです。 このように、生成AIと著作権の関係については、現在活発な議論が行われている段階だと言えます。AIが生成した表現物をどこまで著作物と認めるべきか。その判断基準をどう考えるべきか。こうした問題について、今後さらなる検討が必要とされているのです。
次に、機械学習と著作権の関係について見ていきましょう。生成AIは、機械学習によって、大量のデータからパターンを学習します。この学習の過程で、著作物が利用されることがあります。例えば、AIに絵画の特徴を学習させるために、既存の絵画を大量に読み込ませるケースがこれに当たります。通常、著作物を複製して利用するには、権利者の許諾が必要です。しかし、著作権法には、情報解析目的での利用を認める例外規定があります。これが、著作権法30条の4です。機械学習はこの情報解析に該当するため、一定の条件の下で、著作物を無許諾で利用できるのです。
具体的には、著作物に表現された思想や感情を享受することを目的としない利用行為は、原則として許諾なく行うことが可能とされています。ここで言う「享受」とは、著作物を視聴するなどして、知的・精神的欲求を満たすことを目的とした行為を指します。AIの学習データとして著作物を収集することは、通常、享受目的ではないため、この例外規定の対象になるわけです。ただし、注意しなければならないのは、特定のクリエイターの作品を狙い撃ちしてAIに学習させるような場合です。
作風やアイデアを真似ること自体は、著作権法上許されています。しかし、作風を共通にする著作物からなる作品群を学習させると、どうしても創作的表現が共通する作品群を学習させることになってしまいます。そして、意図的に共通する創作的表現の全部または一部を生成AIに出力させることを目的とした追加学習のために、創作的表現が共通する作品群を複製するような場合は、もはや享受目的があるとみなされ、30条の4の例外規定は適用されないと考えられているのです(『考え方』20頁)。
さらに、利用される著作物の種類や用途、利用態様によっては、著作権者の利益を不当に害する場合があります。そのような場合も、例外規定は適用されず、許諾が必要になります(30条の4ただし書)。例えば、インターネット上のデータベースの著作物が、情報解析に活用できる形で有償提供されているにもかかわらず、有償で利用することなく、そのデータベースの著作物を情報解析目的で複製するような行為は、著作権者の利益を不当に害するとみなされ、例外規定の適用が除外される可能性があるのです(『考え方』24頁)。
このように、機械学習と著作権の関係は、一見すると例外規定によって許諾なく利用できるように思えますが、利用の目的や態様によっては、権利者の許諾が必要になる場合があるのです。AIの開発者や利用者は、この点に十分留意する必要があります。
続いて、AIによる生成表現と著作権侵害の問題について見ていきましょう。生成AIが生成した表現が、学習の過程で読み込んだ既存の著作物と似ている場合、それが著作権侵害に当たるかどうかは、「依拠」と「類似性」の有無によって判断されます。ここで言う依拠とは、わかりやすく言えば、既存の著作物を見たり聞いたりしたことがあり、それを利用しようと意識していることを指します。例えば、AIの操作者が、ある漫画のキャラクターの絵をまねてAIにイラストを生成させようとした場合、その操作者に依拠が認められれば、生成されたイラストは著作権侵害になる可能性が高いわけです。
一方、操作者に依拠が認められない場合は、機械学習の段階での依拠の有無が問題になります。AIが学習の過程で著作物を読み込んでいなければ、依拠はないと考えられます。依拠性の判断については、既存の判例・裁判例を見ると、ある作品が既存の著作物に類似していると認められるときに、その作品を制作した者が既存の著作物の表現内容を認識していたかどうかや、類似の程度の高さなどから判断されてきました。特に人間の創作活動においては、既存の著作物に接する機会があったかどうかなどから、その表現内容を認識していたことが推認されてきたのです。ところが、生成AIの場合は事情が異なります。生成AIの開発に利用された著作物を、その生成AIの利用者が認識していないにもかかわらず、当該著作物に類似したものが生成されることもあり得るからです。
これまでなら、これだけ似ていれば「知らなかったでは済まされない」という問題なのですが、生成AIを使うと「似たものがあることを知らなかった」ということが普通に生じてくるわけです。これは従来にない新しい現象と言えるでしょう。このような事情は、従来の依拠性の判断に影響を与える可能性があります。そこで、従来の人間の創作における依拠性の考え方を踏まえつつ、生成AIによる生成行為について、依拠性が認められるケースを整理してみると、以下のようになります(詳しくは、『考え方』33頁以下参照)。第一に、AI利用者が既存の著作物を認識していたと認められる場合です。
生成AIを利用する場合であっても、利用者が既存の著作物とその表現内容を認識しており、生成AIを利用してその著作物の創作的表現を有するものを生成させたのであれば、依拠性が認められ、著作権侵害が成立すると考えられます。例えば、既存の画像をそのまま生成AIに入力したり、既存の著作物の題名などを入力したりする場合がこれに当たります。この点について、既存の判例・裁判例では、被疑侵害者が既存著作物にアクセスする機会があったことや、生成物と既存著作物との類似性の程度の高さなどの間接事実から、被疑侵害者が既存の著作物の表現内容を認識していたことが推認されてきました。生成AIが利用された場合でも、権利者がこうした事実を立証すれば、依拠性があるとの推認を得ることができるでしょう。
第二に、AI利用者は既存の著作物を認識していなかったが、AI学習用データに当該著作物が含まれていた場合です。この場合、客観的には当該著作物へのアクセスがあったと認められるため、そのAIを利用して当該著作物に類似した生成物が生成されれば、通常は依拠性があったと推認され、AI利用者による著作権侵害となり得ます。ただし、例外もあり得ます。生成AIの開発・学習段階で学習に用いられた著作物の創作的表現が、生成・利用段階で生成されることはないと技術的に担保されている場合です。例えば、学習に用いられた著作物と創作的表現が共通した生成物が出力されないようなフィルタリングの措置が取られていたり、そもそもそのAIの仕組み上、学習に用いられた著作物の創作的表現が生成されないことが合理的に説明できたりする場合には、AI利用者がその旨を主張立証すれば、依拠性が否定される可能性があります。
第三に、AI利用者が既存の著作物を認識しておらず、かつ、AI学習用データにもその著作物が含まれていない場合です。この場合、たとえ生成物が既存の著作物に類似していても、それは偶然の一致に過ぎないと考えられますから、依拠性は認められず、著作権侵害は成立しないことになります。
最後に注意点ですが、生成AIの開発・学習段階で既存の著作物を学習していた場合に、AI利用者が著作権侵害を問われたときは、そのAIを開発した事業者も、著作権侵害の責任を負う可能性があります(『考え方』36頁参照)。あなたが開発者側の場合、この点については十分な留意が必要です。
次に、「無料との競争」と著作権の問題について考えてみましょう。 生成AIによる創作物の登場は、著作権制度にとって新たな「無料との競争」を意味します。 実は、著作権制度は以前からこうした「無料との競争」に直面してきました。[3] 印刷技術やインターネットの登場など、新しい技術の出現に伴って、作品の複製や流通が容易になり、新しい市場が生まれる一方で、著作権者の利益をめぐる対立も生じてきたのです。
典型的な例が、インターネットの普及によって誰でも簡単に作品をアップロードし、無料で共有できるようになったことです。一見すると便利な反面、著作権者の許諾なく行われた場合は、著作権侵害の問題が生じます。 著作権法は、こうしたインターネット上の違法な無料コンテンツや海賊版との戦いに、なんとか対処してきました。しかし、生成AIによる創作物は、また新たな脅威となる可能性があります。 生成AIは、大量のデータから学習することで、人間と見分けがつかないような創作物を自動的に生み出すことができます。そして、この技術は、創作のプロセスを根本から変え、著作物の生産コストを大幅に下げる可能性を秘めています。つまり、生成AIは、高品質の創作物を「無料」に近い形で大量に供給できるようになるかもしれないのです。
もし、生成AIによる創作物が広く流通するようになれば、人間の創作者は、「無料」同然の作品との競争を強いられることになります。その結果、創作へのモチベーションが下がり、文化の多様性が失われてしまう恐れがあります。 また、生成AIが学習に使うデータには、既存の著作物が含まれている可能性があります。このデータの利用をめぐっても、著作権者と生成AIの開発者との間で利害の対立が生じるでしょう。
こうした「無料との競争」に直面した著作権制度は、どのように対応すべきでしょうか。著作権者の利益を重視し、生成AIによる創作物の流通を規制すべきでしょうか。それとも、社会全体の利益を考え、生成AIの活用を促進すべきでしょうか。 著作権制度の歴史を振り返ると、技術革新がもたらす変化に対して、著作権者と利用者の利益のバランスを図ることが重要だということがわかります。生成AIという新たな技術に対しても、このバランスの視点を忘れてはなりません。
また、アメリカの著作権法の権威であるスタンフォード大学のゴールドスタイン教授は、「著作権の最も効果的な役割は、自力執行力のある規範としての役割となるだろう」とし、その役割とは、著作権が「道徳的に説得力のある行動規範として確立すること」と述べています。 [4]
つまり、著作権が「道徳的に説得力のある行動規範」として機能することも重要です。そして、同教授は「そのためには規範(法)が合理的であるというだけでなく「作者の顔」が強調されるべきである」と指摘しています。 生成AIによる生成物が普及する中で、人間に由来する作品の「作者の顔」を強調し、創作者の権利を尊重する規範を確立するべきという指摘は、極めて重要な指摘と言えるでしょう。人間の作者がいることに作品自体の価値があるという考え方を広く共有する必要があるのです。
生成AIは、著作権制度に新たな「無料との競争」をもたらします。この競争に向き合うためには、著作権者と利用者の利益のバランスを図りつつ、説得力のある行動規範を確立していかなければなりません。 生成AIがもたらす変化は、著作権制度にとって大きな挑戦であるといえます。しかし、柔軟に対応し、適切なバランスを保つことができれば、生成AIは文化の発展に寄与する可能性も秘めているのです。
というのも、生成AIは、いままでプロに独占されていた著作物の創作について、自ら擬似体験できるようになり、作り手としての立場を擬似的にでも経験すること、作品を自ら創作するという文化の裾野がこれまで以上に拡大する可能性を有しているからです。 歴史的には、コピーが容易になることによって、書籍の市場も、音楽の市場も、爆発的に拡大しました。しかしそれは、著作者の権利を保障する著作権を大事にしたからであって、フリーライドのみが横行していれば、現代に見られるような書籍や音楽の分野における文化の発展はなかったでしょう。 私たちは、こうした変化を前向きに捉え、新しい時代の著作権のあり方を模索していく必要があるのではないでしょうか。
最後に、著作権の存在意義とその将来について考えてみたいと思います。先ほど見てきたように、生成AIを利用して作品を制作した場合、人間の創作的な寄与や関与がなく、かつ、既存の著作物への依拠性や類似性がない作品が出力されたとすれば、それは著作権法上の「著作物」とは言えず、著作権は生じません。現時点では、これは多くの分野において仮説的な問題設定に過ぎませんが、将来的には幅広く生じ得る問題だと考えられます。
ここで、著作権法の正当化根拠について考えてみましょう。大きく分けると、自然権論とインセンティブ論の2つの考え方があります。自然権論によれば、生成AIが発達しても、創作者に当然の権利を与えるという著作権法の役割に変わりはないと言えます。一方、インセンティブ論からは、AI作品の利用で社会的厚生の最大化という目的が達成されるのであれば、著作権はもはや不要とも言えそうです。
しかし、私は、人間が創作したという事実は、生成AIでは代替できない重要な要素だと考えています。消費者が作品の価値を享受し満足を得る上で、その作品が人間の手によって創作されたものであるということは大きな意味を持つのです。例えるなら、生成AIの作品が回転寿司だとすれば、人間の作品はカウンターで握る寿司のようなものでしょうか。しばらくの間は、このようにマーケットが棲み分けできるかもしれません。回転寿司であれ、カウンターの高級寿司であれ、寿司文化それ自体が維持され、かつその裾野が広がることが、マーケットにとっては重要なことです。
「著作物」であるということは、人間が創作したという事実を法的に担保するものです。したがって、こうした需要が残る限り、インセンティブ論の立場からも、著作権法が不要になる状況には至らないでしょう。ただし、一定の利用分野では、権利の負担付きの作品の利用は敬遠され、AI作品の利用が志向される傾向が生じることは予想されます。また、著作権法上、ある作品が「著作物」であれば著作権があることは保証されていますが、そもそもある作品が人間の創作に係る著作物であることを対外的に保証する法的な仕組みは、最終的に裁判で確定する以外に用意されていません。この点については、いずれの考え方に立つにしても、今後の課題となるでしょう。
ここで懸念されるのが、いわゆる「僭称コンテンツ」の問題です。これは、AIによる生成物に著作権が認められないことから、実際にはAIが生成したにもかかわらず、その生成物を「自分(人間)が作ったものだ」と嘘をつく人が出てくるのではないかという問題です。これに対して、どのように対処するべきなのかについても、議論があるところです。[5]
生成AIによる創作物の登場は、従来の著作権制度に大きな課題を突きつけています。生成AIという新たな、そして究極の「無料との競争」の局面を迎えた今、著作権者と利用者の利益のバランスを図りつつ、説得力のある行動規範を確立していくことが求められています。同時に、著作権の正当化根拠についても、生成AIの発達を踏まえた再検討が必要となるでしょう。著作権法の存在意義とその将来を見据えながら、生成AIがもたらす変化に適切に対応していくことが、私たちに課された課題なのです。
さらに、技術の進歩によって、いずれAI自身がAIを鑑賞者とした作品を創作するようになるかもしれません。そうなれば、完全なAI作品の背後に人間の「作者」もいないし、人間の鑑賞者もいないことになります。シンギュラリティ(技術的特異点)を迎え、AIが人間の創造力を凌駕するようになれば、「人間の終焉」さえ懸念されるでしょう。新しい芸術は、人間なきあとに生まれるのかもしれません。その作品は、いわばAI神の創造物として、鑑賞者である人間が想像し得なかったエクスタシーを感じさせるものかもしれません。あるいは、人類を超越しすぎていて、人間にとっては猫に小判、馬の耳に念仏のようなものかもしれません。
いずれにせよ、生成AIがもたらす変化は、著作権制度にとって大きな挑戦であることは間違いありません。著作権法の存在意義を見つめ直し、その将来を見据えながら、生成AIという新しい技術とどう向き合っていくべきか。それが、今私たちに問われている重要な課題なのではないでしょうか。
[1]Thaler v. Perlmutter (2023), 2023 WL 5333236
[2](2023)京0491民初11279号判决
[3] ポール・ゴールドスタイン著「著作権はどこへいく? 活版印刷からクラウドへ」(勁草書房、2024年)247頁以下を参照
[4]ポール・ゴールドスタイン・前掲書287頁
[5]奥邨弘司「人工知能が生み出したコンテンツと著作権」パテント70巻2号(2017年)15頁参照
藝術学関連学会連合事務局
横道仁志 esthe{at}let.osaka-u.ac.jp