藝術学関連学会連合

日本学術会議 協力学術研究団体

第14回公開シンポジウム

アマチュアの領分

過去・現在・未来

2019年6月8日(土)13:00-17:30
国立国際美術館 大阪府大阪市北区中之島4 -2-55

主催:藝術学関連学会連合
共催:国立国際美術館

申し込み不要 入場無料
チラシPDF

 

 

 

 


プログラム

  • 13:00  開会の言葉 藤田治彦|藝術学関連学会連合会長
  •      共催者挨拶 山梨俊夫|国立国際美術館館長
  •      全体の趣旨 鈴木禎宏|お茶の水女子大学

アマチュアの領分 過去・現在・未来

趣旨説明

  • 鈴木禎宏|お茶の水女子大学

    アマチュアは芸術の重要な担い手である。

    プロフェッショナルが「プロ」として活躍できるのは、アマチュアあってのことである。プロはアマチュアを教えることで教授料を得る。アマチュアはプロの公演の観客となり、作品の購買者となり、後援会の会員となる。アマチュアの中からは「通」や「目利き」として、「プロ」の芸を味わい、その価値について語る者もでてこよう。もちろん、「玄人はだし」のアマチュアはときにプロのパフォーマンスを凌ぐ。良いアマチュアがいない領域では、優れたプロは育たない。その一方「プロ」が成立しない芸術・芸能分野は、アマチュアによって担われるしかない。

    このように見てくると、アマチュアの広がりは、そのまま文化という土壌の広がりでもある。もし日曜画家といった人々やアマチュア・オーケストラといった団体が消えていったとしたら、その領域は痩せ細っていくのではないだろうか。逆に、アマチュアがいない芸術分野は、「プロ」や「セミプロ」を存続させる仕組みを政治的に作らざるをえないかもしれない。

    このような観点に立つとき、諸芸術におけるアマチュアという存在は重要な研究対象となりえると思われるが、しかしこれまで芸術学の領域でアマチュアは正当に評価されてきただろうか。もちろん、パトロンや市場という言葉のもと、社会との関わりにおいて芸術は論じられてきた。しかし、全体の傾向としてはどの芸術分野においても、どちらかと言えば名前のある芸術家の作家論や作品論が主要な研究テーマとなりがちであり、名も無いアマチュアの存在は等閑視されてきたのではないだろうか。

    このことは「学(会)」という、研究者集団の成立・活動とも関わって来る。どの芸術家を論ずるに値する研究対象として取り上げ、誰を「アマチュア」として切り捨てるのか。そうした判断は何を根拠とし、誰によって行われるのか。「名も無いアマチュア」の活動を論じることは、それをどのように記述していくのかという単なる技術的な問題だけでなく、その「学」を成り立たせている前提や価値観を逆に問い直すことになりうる。それはさらに、学校教育や社会教育という、政治の問題にも繋がっている。

    近年、インターネットの動画共有サイトに、プロもアマも動画を投稿するようになった。このようなサイトにおいては「プロ」と「アマ」の境界だけでなく、諸芸術の境界も曖昧となる。「ユーチューバー」が小学生(男子)の「将来なりたい職業」のトップ10にランクインしたことは、記憶にあたらしい。将来の芸術史・文化史の登場人物たち—パフォーマンス(成果)を論じられる側と、論じる側—は、こうした情報インフラに支えられたサイバー空間から現れよう。その人々は、かつて「万能人」〈ユニバーサルマン〉と呼ばれた人々にも似たマルチタレントな存在かもしれない。

    近代が諸分野において「専門家」が成立していった時代だとすると、今後のアマチュアとプロはどのような関係になっていくのだろうか。そして、そうした関係によって担われる「芸術」を論じるべく、学術研究はどのような形態をとっていくのか。このような大きな問題に対する答えがすぐに見つかるわけではないが、考える機会はあっていいと思われる。


アマチュアの領分 過去・現在・未来

報告概要

  • 照らされたドメスティック・クラフツ

    山﨑稔惠|服飾美学会|関東学院大学

     

    哲学者E・バークをして「いつの世にも輝かしい女性」と称賛された18世紀イギリスの夫人メアリー・ディラニーとその仲間らの展覧会が、2010年春ロンドンで開催された。
    「ガーディアン」紙には「アマチュアリッシュ」と「ドメスティック・クラフツ」への再考を促すレヴューが掲載され、著書も編まれた。
    その内容を紹介しつつ、生涯を通じ針仕事に拘泥し、ときの王室にも影響を与えた夫人の美意識について書簡を手がかりに報告する。[詳細]

  • 農民美術におけるアマチュアの性質

    石川義宗|日本デザイン学会|長野大学

     

    山本鼎の農民美術運動は柳宗悦の民芸運動に先んじて大正時代に始まった。
    その工芸作品と運動は地域における近代的な大衆文化と消費社会に沿うかたちで進展し、変化し、表現における通俗性、手仕事と機械加工の中庸性、運動における趣味性など、民芸の主要概念とは異なる性質を持った。
    本発表ではそれらをアマチュアの性質として捉えたい。それは村の日常の中に留まり、労働において醸成され、農民たちを癒した芸術の姿である。[詳細]

  • 〈芸術家〉になれなかった山下清

    服部正|美術史学会|甲南大学

     

    昭和の時代に絶大な大衆的人気を得た貼り絵画家の山下清は、美術界からは徹底的に忌避され、その人気にもかかわらず(あるいはその人気ゆえに)アマチュア画家とみなされ続けた。
    山下清の庇護者として知られた精神科医の式場隆三郎も、ファン・ゴッホをはじめとする膨大な美術評論を著したにもかかわらず(あるいはその膨大な論評ゆえに)正統な美術研究者とみなされることはなかった。
    二人はなぜ、美術界の完全なアウトサイダー/アマチュアの域を出ることができなかったのだろうか。その歴史を検討する。[詳細]

  • 地芝居に見る〈アマチュアの領分〉

    舘野太朗|日本演劇学会|横浜いずみ歌舞伎保存会

     

    歌舞伎は都市部のみならず、村落部においても村芝居として享受されてきた。
    村芝居は一座を買ってくる買芝居(かいしばい)と、素人の住民がみずから演じる地芝居(じしばい)にわけることができる。
    地芝居であっても、振付(演出)や音楽の演奏には、専門技術をもつ「プロ」が関わっていることが多い。「プロ」が担っている役割から、地芝居における「アマチュアの領分」を明らかにしたい。[詳細]

  • ポップカルチャーから見る〈よさこい系〉

    秋庭史典|美学会|名古屋大学

     

    ポップカルチャーは、SNSの普及によるプロ/アマ境界流動化の最大の現場である。
    本発表では、通常「ヤンキー文化」と結びつけて語られることの多い「よさこい系」祭りならびにそこでの踊りについて、ポップカルチャーとの関連から論じていく。
    それにより、アマチュアの持続的生成と継承(ピークはとうに過ぎたと言われる「よさこい」系はなぜいまも続いているのか)、さらにはその学問による論じ方についても、新たな光を投げかけてみたい。[詳細]

  • プロ/アマの境界のシフトと社会的認知のズレ

    神野真吾|美術科教育学会|千葉大学

    西洋近代の影響のもとで成立した日本の「美術」はその様式的ヴァリエーションの再生産という性格を強く持つ場として発展したが、それらは現代ではむしろアマチュア的活動として位置づけられている。しかし普通教育としての美術はいまだにその影響下にあり、一般社会もまた同様の傾向にある。プロフェッショナルの要件が大きく変化し、あり様も多様化する現代において、アマ/プロの境界と内容をどう考えるべきかが問われている。